「靴工房CITTA」のブログに自分の靴が載った。
先日訪問した際に撮ってくれたものだ。
靴の画像とともに、
「いい顔になっています」
という言葉が添えられていた。
作り手の情がこもった温かいコメントだ。
自分の靴が他人のブログに載るのは恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・。
だが確かに、靴の表情は大きく変わっている。
出来立てホヤホヤ(昨年7月末ごろ)
現在
たった半年でこれだけ変わった。
まずは皺。
左右で皺の入り方がほぼ同じというのが気に入っている。
これだけ皺が入るのは、分厚く柔らかいというこの革の特性のおかげであろう。
「靴の甲に大きな皺が入るのは、甲があっていないから」と言った人がいるが、それがすべてではない。
皺の入り方は、革の特性による部分が大きいのではないか。
事実、私の靴は甲がフィットしているが、これだけ皺が入るのだから…。
それから艶。
この靴が完成したばかりの時、なかなか味のある靴だと思ったが、今の状態と比べると全然比較にならない。
「手入れは、しばらくはからぶきだけで結構です。十分に艶が出ます」と言われていたので、
極力、クリームは控えていた。
塗っても無色のクリームを薄く。
果たして言った通りになった。
脂分が十分にしみこんだこの革の特性のおかげである。
実は、履き始めて間もないころ、つま先を段差にぶつけて大きな傷が入った。
しかし、その傷も今では革の色の変化に同化してしまって、あまり目立たなくなったほどだ。
これから、さらに色に深みが増していくのだろう。
「靴は出来上がった時が完成ではない。持ち主が履いて完成させるのだ」
という趣旨の言葉をどこかで聞いたことがある。
同感である。
だが、私の「CITTA 1号」はまだまだ完成にはほど遠い。
成長の過程にある。
これからどんな表情を見せてくれるのか楽しみ。
生みの親と育ての親はしっかりと見守っている。
先日訪問した際に撮ってくれたものだ。
靴の画像とともに、
「いい顔になっています」
という言葉が添えられていた。
作り手の情がこもった温かいコメントだ。
自分の靴が他人のブログに載るのは恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・。
だが確かに、靴の表情は大きく変わっている。


たった半年でこれだけ変わった。
まずは皺。
左右で皺の入り方がほぼ同じというのが気に入っている。
これだけ皺が入るのは、分厚く柔らかいというこの革の特性のおかげであろう。
「靴の甲に大きな皺が入るのは、甲があっていないから」と言った人がいるが、それがすべてではない。
皺の入り方は、革の特性による部分が大きいのではないか。
事実、私の靴は甲がフィットしているが、これだけ皺が入るのだから…。
それから艶。
この靴が完成したばかりの時、なかなか味のある靴だと思ったが、今の状態と比べると全然比較にならない。
「手入れは、しばらくはからぶきだけで結構です。十分に艶が出ます」と言われていたので、
極力、クリームは控えていた。
塗っても無色のクリームを薄く。
果たして言った通りになった。
脂分が十分にしみこんだこの革の特性のおかげである。
実は、履き始めて間もないころ、つま先を段差にぶつけて大きな傷が入った。
しかし、その傷も今では革の色の変化に同化してしまって、あまり目立たなくなったほどだ。
これから、さらに色に深みが増していくのだろう。
「靴は出来上がった時が完成ではない。持ち主が履いて完成させるのだ」
という趣旨の言葉をどこかで聞いたことがある。
同感である。
だが、私の「CITTA 1号」はまだまだ完成にはほど遠い。
成長の過程にある。
これからどんな表情を見せてくれるのか楽しみ。
生みの親と育ての親はしっかりと見守っている。
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